アマビエに続く霊獣として、山梨発のヨゲンノトリが話題になっている。
安政4年(1857)、加賀白山に不思議な鳥<ヤタガラス>が現れ、来年のコレラ流行を予言、来年の8〜9月頃、世の人の9割が死ぬような難が起きるが、朝晩に自分の姿を拝んで信心すれば、その難を逃れることが出来るのだという。
実際に翌年予言に近い状態となり、長崎から入ったコレラが江戸、山梨でも大流行、9割はいかないまでも、山梨では8月〜9月に30〜40人ぐらいが亡くなったらしい。
「当時の社会不安が反映して、人の心がアマビエやヨゲンノトリのような予言獣を求める」、というのが、だいたいのオチになっている。
北陸に出た鳥が、なぜ山梨発なのか? 県立博物館の学芸員さんにうかがったところによると・・

・情報元は、市川村(フルーツ公園の下あたり)の名主喜左衛門さんが残した「暴瀉病(ぼうしゃびょう=コレラ)流行日記」<頼生文庫>
・喜左衛門さんは、名主(役人村として甲府へ出張して滞在中、流行中のコレラに関する見聞を書き残した
・「加賀白山に現れた不思議な鳥」が町のうわさになっていた、筆まめで絵心のあった喜左衛門さんは、「こんな鳥らしいよ」と聞いた話を元にそのビジュアルを再現した
・その絵がよかった。鳥の話は、日本中でうわさになっていた可能性があり、例えば福島県にも似たような記録が残るらしい、しかしシルエット程度の絵しか残されていないとのこと
・ここまでわかりやすい形として残したのは、文献でわかっている範囲では、日本で今のところ喜左衛門さんだけだった!
収蔵品を熟知する学芸員さんの間では、この不思議な鳥はずいぶん前から話題になっていたらしい。それをツイッターで発信して大ヒット。
そして160年たった今、不思議な鳥は疫病封じの祈願のみならず、今度はさまざまな商品の意匠にも使われ、現実の町の経済も助けている、というわけで、筆まめな喜左衛門さん、発掘してくれた学芸員さんに感謝するほかない。

余談1:
ヨゲンノトリの外観は、カラスの体に、黒白の頭が2つ、足は2つ。原本にも熊野権現の記述があるから、ヤタガラスをイメージしたものと思われる。
その熊野の使いが、わざわざ北陸の白山に現れるのは何故か?黒と白は、例えば熊野と白山の象徴で、全国にこういう噂を広めることで、当時の熊野修験と白山修験との間で起きた出来事、古神道界の動きを伝える暗号だったとは考えられないだろうか? まとも修験者なら、数年先の未来を読めてもおかしくはない。
余談2:
ヨゲンノトリの記事などを読むと、当時の世相と今の世相がよく似ている、といった書き込みをよく目にする。歴史はくり返す? では、ヨゲンノトリが話題になった安政あたりの時代は、どういう時代なのか?調べてみるとおもしろかった。
黒船、弾圧、地震、地震・・そのまま江戸幕府崩壊へ。アマビエが話題になったのも12年前、だいたいこのあたりだ。社会不安を煽るつもりはないが、何か大きな変化が起きそうな時勢のような、そういう暗示をみてとれなくもない

